ハンセンのブルロープで殴られてプロレスを意識! 期待の新人・三上恭佑に最速インタビュー!
3月7日に行なわれたアクトシティ浜松大会。1人の新人が、田口隆祐戦で待望のデビューを果たした。
その名は三上恭佑。幼少のころからプロレスに影響を受け、プロレスラーになるために名門・専修大学レスリング部に入部したという頼もしい経歴の持ち主である。そんな三上選手を、試合前に緊急キャッチ! 本邦初のインタビューで、現在の心境と意気込み、そして自身のプロフィールを語ってもらった——。
–今回のデビュー戦は、急遽きまったそうですね?
三上「はい。僕もおととい(5日)聞きました。(緊張で)もう、ゲ○吐きそうです。『まぁ、ファレ(・シミタイトコ=同期の練習生/4月デビューを発表済み)の後だべ』と思っていたんで(笑)」
–三上選手の経歴を教えて下さい。
三上「柔道とレスリングをやっていて、新潟県の巻農業高校(現:巻総合高校)から、レスリングのスポーツ推薦で専修大学に入学しました」
–プロレスとも縁の深い名門ですね?
三上「監督が馳浩(元プロレスラー。現在は衆議院議員)さんで、中西(学)さんが練習を見てくれる時期もありました。平澤(光秀)さんは僕が1年生の時に3年生で。今でもよくしてもらっています。でも、中退してしまって……」
–失礼ですが、なぜ中退したのですか?
三上「学校に行ってませんでした。経済学部だったんですけど、経済に興味がないんです(大笑)。そもそもプロレスをやろうと思ってレスリングを始めたので(キッパリ)」
–その後は?
三上「新日本プロレスに入ろうとしたんですけど、書類選考で落とされてしまって。親父に『奨学金どうすんだ、オメェこの野郎!』と説教され、『こりゃ、まずい』と地元へ帰りました。奨学金の返済を立て替えてもらい、親父に多大な借金をしてるところです。それから、とびを1年やったり、レストランや浜茶屋(海の家)やパチンコ屋で働いたりと、4年間フリーターをやっていました。それで、2009年5月の入門テストの時に、規定が変わって“身長制限がない”となりまして。平澤さんから『お前、どうするんだ? 受けるのか?』と言われて、もう1度テストを受けることにしたんです」
–そして、2009年の6月23日に入門したというわけですね。ずっとプロレスファンだったのですか?
三上「はい。親父の影響で、ずっと。保育園の時、全日本プロレスの会場でスタン・ハンセンの振り回すブルロープでブン殴られて、プロレスを意識し始めたんで。全日本、新日本、FMWなどが好きでした」
–デビューすることを誰かに知らせましたか?
三上「親、地元の友達、あとGREEをやってるんですけど、それの友達には『(試合に)出っから』って言いました。(反応は)物凄かったですね。新日本の練習生になったということは言ってなかったんですよ。デビューが決まって、公式サイトにも載ったところでみんなに教えました。ただ、やっぱりお袋が一番心配してますね。でも、婆ちゃんはプロレス好きなんで『おう、やれやれ!』って言ってくれたんですけど(笑)」
–得意技は何ですか?
三上「今日がデビュー戦なので、まだ得意も何も(苦笑)。でも、レスリングをずっとやってきたので、片足、両足と、タックルに入ることだけは集中的に考えていきたいと思います」
–セールスポイントは?
三上「自分はアンコ型なんですけど、“デブだけど機敏だよ”というところですかね」
–ライバルをあげるとすると?
三上「今、道場にはファレと高橋という練習生がいるんですけど、同期は完全にライバルですね。もちろん平澤さんも意識してます」
–どんな選手を目指しますか?
三上「皆さんに応援されたいというのが一番です。基本的に、バカなのに目立ちたがり屋なんで(笑)。お客さんに『頑張れ!』と言わせるようなプロレスをしたいですね」
–目標とする選手は?
三上「いっぱいいすぎて、誰とかは言えないです」
–最後に意気込みを一言。
三上「とにかく精一杯頑張るんで、よろしくお願いします。(デビュー戦の相手の)田口さんは(IWGP)Jr.タッグチャンピオンですから、そんな人とデビュー戦ができるなんて物凄い光栄です。とにかく、練習で覚えたことを全部出したいと思います。よろしくお願いします」
——デビュー戦後、感極まって思わず男泣きしていた三上選手。試合中は、田口選手も認めた体の頑丈さを発揮して堂々とした闘いぶりを見せ、将来への期待を予感させていた。念願のデビューを果たし、希望に燃えるヤングライオンのさらなる活躍に期待!